“学びたい”を刺激するメディア。

2021.01.13

Column

歴史はストーリーで学べ! 公立高校教師YouTuberに学ぶ日本史

歴史はストーリーで学べ! 公立高校教師YouTuberに学ぶ日本史

上司や取引先の歴史の話についていけずに悔しい思いをした。歴史から得た学びを自分のビジネスに生かしたい。単純に興味がある……。様々な理由で、日本史をもう一度学びたいと考えている人は多いでしょう。

そんな人たちに知っていただきたいベストセラーが現役公立高校教師の山崎圭一先生が著した『一度読んだら絶対に忘れない日本史の教科書 公立高校教師YouTuberが書いた』(SBクリエイティブ)です。

シリーズ前作に当たる『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書 公立高校教師YouTuberが書いた』(SBクリエイティブ)がわかりやすさから好評を博し21万部突破を達成した山崎先生。古代から現代まで1つのストーリーで読み解く内容は歴史にとっつきにくさを感じるという方にもおすすめです!

この記事では山崎先生の授業の一部を抜粋してお届けします。

目次

  • 「奈良時代~平安初期」の仏教と政治の関係
  • 「信長・秀吉政権」の日本史における役割
  • 「徳川吉宗と田沼意次」は何をしたのか

 

 


「奈良時代~平安初期」の仏教と政治の関係

 

日本史の魅力は、原因と結果が連なって現代まで続く大河ドラマが身近な文化・遺産と関連づけて楽しめることだと語る山崎先生。

 

最初に取り上げられたのは「奈良時代~平安初期」にかけての歴史です。

 

「奈良時代は仏教の力で国を安定させようという『鎮護国家』の時代なんです」と先生。巨大な奈良の大仏を思い浮かべてみてください。あのような巨大な仏像が建造されたのは「国を安定させるほど安心感を与える大きな仏像を作りましょう」という意思が働いたからなのです。

 

その分僧が政治に大きな影響を与えたのもこの時代。玄昉、行基などの僧が大きな存在感を発揮し、道鏡に至っては女性天皇称徳天皇と恋仲となり天皇の位を譲り受けようとまでしました。しかし、道鏡は称徳天皇の死により後ろ盾を失い、急速に力を失うことになります。

 

このように僧が政治に口出しすることを嫌った桓武天皇は仏教勢力の強い奈良を離れて新しい都を作りました。それが京の都平安京です。そこで保護された僧侶は政治にあまり影響しない個人的な幸福を求める密教を伝えた最澄や空海でした。

 

奈良に東大寺や興福寺などの古い寺院が残っているのにはこのような経緯があるのです。

 

 

「ここまでが第一話です」と話を締めた山崎先生にリアルタイム受講生から「奈良時代における仏教徒ローマ帝国におけるキリスト教は何が違うのでしょうか?」という質問が寄せられました。

 

「キリストは一神教ですよね?」と先生。「それに対し仏教は個人的な悟りを求めるものであり、仏陀の思想を引き継いだ人々の宗教です」と続けます。 このように授業中に気になった点を気軽に質問できるのもSchooの授業をリアルタイム受講する利点です。

 

 


「信長・秀吉政権」の日本史における役割

続いての話のテーマは「信長・秀吉政権」です。

 

「日本史という流れの中での信長と秀吉の役割というのは何でしょうか」と先生。

 

ここで以下の図が提示されました。

 

 

一見して複雑な図に思われるかもしれません。この図が示すのは、平安~室町時代の「中世」と呼ばれる時代に天皇、将軍、公家、農民などさまざまな地位・役割の人々が生まれ多様化が進んだということです。

 

色々な勢力が生まれ、商工業が発達し、民衆の力が増大したのもこの時代の特徴です。

 

この世の中に対し、織田信長は天下統一を進めていきます。その一環として楽市楽座、関所撤廃、指出検地などの取り組みが行われました。その後本能の変が起こり、豊臣秀吉がついに転嫁を統一します。そこで行われたのが太閤検地、一致一策人の原則、兵農分離など。

 

このような取り組みにより、土地の所有権が誰の元にあるかが確定され、また混とんとしていた武士と農民の境界が明確にわけられました。この取り組みを指して山崎先生は「事業仕分け」と表現します。

 

秀吉の死後始まった江戸時代、徳川政権が長期政権となったのにはこのような信長・秀吉の日本を整理する取り組みが影響していたと先生は話します。

 

ここで「織田信長は楽市楽座の発想をどこで獲得したのでしょうか?」という質問が。先生は「信長に聞いてみないと真相は分からない」と前置きしつつ、信長の出身地である尾張や美濃は商人の行き交う場所であり、各地のものが集まる場所だったと予測。そのような環境から信長は座を撤廃し色々な国の商人がやってきた方が国は賑わい経済は活性化すると考えたのではないかと語ります。

 


「徳川吉宗と田沼意次」は何をしたのか

3つ目の話題の舞台は江戸時代。「徳川吉宗と田沼意次」についての解説です。

 

「この2人が出てきた背景には江戸時代がお米を中心とする社会だったことが挙げられます」と先生。農民が年貢を大名に献上し、大名が武士にお米を支給。大名や武士はその一部を商人に売ってお米を得ていました。

 

その結果、お金の流れの中心にいる商人の立場がだんだん強くなることになります。商人はだんだんコメを安く買いたたくようになりました。物価は上昇し、米価は下落する中で武士や大名は非常に苦しむようになります。

 

そこで武士社会のリーダーである徳川八代将軍徳川吉宗は「コメをもっと生産する」という形で大名・武士を救おうと試みます。そのために新田開発や年貢の増徴が行われました。その結果、大名や武士は今まで以上に米に依存した生活になりました。そのため、ききんが何度も発生することになります。

 

そこで10代将軍徳川家治の老中田沼意次は「お金社会を活用する」という政策を展開します。株仲間を公認したり輸出を新興したりといった取り組みで商人と田沼の結びつきは強まります。その様子を見た大名や武士は田沼意次の収賄を疑い、田沼の失脚が引き起こされることになりました。

 

 

先生の授業を受けて「田沼意次は賄賂のイメージだったんですが財政再建に取り組んでいたんですね」と認識を改めた受講生からのコメントが寄せられました。先生曰く、田沼の取り組みはそれなりに効果を発揮したそうです。商人からも積極的に税金を取る、アワビやフカヒレ、干しナマコを中国に輸出して外貨を稼ぐなどその取り組み内容は非常に現代的で、近年田沼意次の財政再建にまつわる評価は見直されているということです。

 

文=宮田文机

授業ではほかにも「大正デモクラシー」の時代についての解説やほかの質問への回答も行われました。ぜひ実際の授業動画でご確認ください。

 

『「一度読んだら絶対に忘れない日本史の教科書 公立高校教師YouTuberが書いた」著者:山﨑圭一さん』http://schoo.jp/class/7251/room

 

また、先生の前著を基にした『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書 公立高校教師YouTuberが書いた著者:山﨑圭一さん』の授業動画も公開されています。世界史に興味がある人にはそちらもおすすめです。

 

『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書 公立高校教師YouTuberが書いた著者:山﨑圭一さん』 http://schoo.jp/class/6930/room

おすすめ記事

本日の生放送

ペンシルからのプッシュ通知を設定しておくと、新着記事のお知らせなどをブラウザ上で受信できて便利です。

通知を受信しますか?