目次
- 何万回も書いてきた自分の名前、どうしてその名前になったんだろう?
- 名前は子どもへの最初の贈り物であり、そこには願いが込められている
- 「受け取った名前×見いだした意志」で、「こうしていきたい!」を見つける
- 名前の育ての親は他ならぬ自分なのだから、自分の希望を込めてしまおう
2021.06.15
あなたは自分の名前の由来、ご両親から聞いたことはありますか?
「名前は子どもへの最初の贈り物」と表現し、自分の名前の由来を深く知り、そこに解釈を加えていくことで、人生の羅針盤にすることもできる。コピーライターの阿部広太郎さんは、そうおっしゃいます。
では、阿部さんの名前にはどんな意味が込められていたのでしょうか?そして、その由来を知り、そこに解釈を加えていくにはどうしたらよいのでしょうか?
今回は、Schooで人気連載授業「心をつかむ超言葉術」を担当する阿部広太郎さんの新刊、「それ、勝手に決めつけかもよ?だれかの正解にしばられない「解釈」の練習」(ディスカヴァー・トゥエンティワン)より、その一部を抜粋してお届けします。
※「それ、勝手に決めつけかもよ?だれかの正解にしばられない「解釈」の練習」(ディスカヴァー・トゥエンティワン)
https://www.amazon.co.jp/dp/4799327372
きらりと光る参加者の「名前紹介」を挙げていく。
その前座として、僕の「阿部広太郎」という名前の話をさせてほしい。
父になる前の父のことを僕は知らないし、母になる前の母のことも僕は知らない。
名付ける時、そこにはどんな思いがあったのだろう?
子どもの頃に親に尋ねた記憶はあるものの、曖昧になっていた。
もう一度、なぜ「広太郎」に決まったのか、聞いてみたところ……
両親で話し合ったそうだ。
名前は子どもへの最初の贈り物とも言うし、だれかに依頼するより、自分たちで考えよう、と。
本をよく読む父が、たくさんの候補を考えて、漢字の意味や字画も検証した結果、
「広太郎」と「新太郎」という2つの候補から、「広太郎」に決まった、とのことだった。
し、新太郎……⁉30年以上生きてきて初めて知る事実だった。
不思議な気持ちになった。もしも、新太郎になっていたらどんな人生を送っていたのだろうか。きっと新太郎らしい日々を過ごしているとは思いつつ、もう一つの人生を妄想してしまう。
「名は体を表す」の言葉通り、「広太郎」として生きてきて、僕は今、広告の仕事を生業としている。
広告会社への就職が決まった時に母が、こんな風に言ってくれたことを覚えている。
あんたの広の字はね、「広告」からとったのよ、
がんばりなさい。広告太郎なんだからね。
本当の本当は「海のように広い心を持ってほしい」という願いから名付けてくれていた、というのは知っていた。
それがすべて、とこだわる必要もなく「後から思いを追加していいんだ!」と、なんだかそれが新鮮で驚きがあって、だから今でもよく覚えている。
必然だったんだよと言うかのように、新たな解釈をトッピングする。
これから社会人になって広告という道に進もうとする息子に「あなたは阿部広告太郎なのよ」と、発破をかけてくれる母の言葉が嬉しかった。
親が名付けてくれた理由は大切だ。
でも、それは一つの参考資料に過ぎないと強く言いたい。
受け取った名前と、長く付き合っていくのは他でもない自分自身。
自分がその名前に対して、どんな意志を見いだしていけるのか?
そこが何よりも重要だし、自分自身の解釈を加えていくことで、もっと愛着の湧く名前になっていくのではないだろうか。
僕自身も「広」という一文字があるから、広告業界だけにしばられずに、広い視野を持っていたいと常々思うし、「太」という一文字があるから、安定感を意識しながらも、いざという時に大きな勝負ができる太い生き方をつくっていくぞ、と思う。
そう、自分の名前を拠り所としながら「こうしていきたい!」という思いを見つけていければいいのだ。
名前は呪いだ。
そう言う人がいる。
確かに、親から受け取った思いが時にプレッシャーになることもあるだろう。
ずんと両肩と背中にのしかかる「呪い」のようなイメージだ。
ただ、「お呪い」と書いて「おまじない」と読む。
それは、神秘的な力に頼って、願いを叶えようとすることに他ならない。
不幸を祈って名前を考える名付け親がいるだろうか?
だから当然こうとも言える。
名前は祈りだ。
名付け親の期待も願いも把握はする。大切なのはその先だ。
自分は名前をどう受け止めるか?
どう解釈し、どんな意志を見いだすのか?
自分で決めてしまおう。
不思議なもので、名前みたいな人になっていくし、名前みたいな人生を過ごしていくから、自分の希望をそこに込めてしまおう。
自分の名前の育ての親は、他ならぬ自分自身なのだから。
どうしても自分の名前に納得できない場合は、名付け直したっていい。
覚悟を決めて戸籍上の名前を変えることもできるし、ウェブ上のハンドルネームを自分で考えるのだっていい。一番長く一緒に過ごす名前を自分で納得のいくものにしていくのは精神衛生上とても良い。
改めて親に連絡をして、名前の由来を尋ねるのは照れるし、気恥ずかしい。そんな時は「この本がそう言ってて……」と、言い訳にしてもらえたら嬉しい。
自分の名前を愛する。そして、誇るためにも自分の名前を旅しよう。 あなたにも、自分の名前の漢字の由来を調べてみてほしいと心から願っている。 きっとそこに新しい発見があるはずだ。
<この生放送の内容>
今回は、自分の「名前」を解釈してみましょう。
何万回も書いてきた自分の名前。
看板を掲げるがごとく、これまで何万回と書いてきた自分の名前は、どうしてその名前なのか?どういう由来がそこにあるのでしょうか?
名前は両親からの最初の贈り物であり、願いが込められたものですが、それを受け取ったあなたはその一文字一文字にどんな意志を見いだしますか?
「これはそういうものだから」を、解きほぐしてあなたの思いを乗せていきましょう。
「自己紹介」ともまた少し違う「名前紹介」。一緒に考える60分間にしましょう。
ペンシルからのプッシュ通知を設定しておくと、新着記事のお知らせなどをブラウザ上で受信できて便利です。
通知を受信しますか?
「自分の名前の由来を調べましょう」
「名前の字の字源/語源を調べ尽くしてみてほしいです」
「その上で、A4・1枚で伝わるようにまとめてください」
連続講座「言葉の企画」で「名前紹介」という課題に取り組んだ。
「自己紹介」ともまた少し違う「名前紹介」。
看板を掲げるがごとく、これまで何万回と書いてきた自分の名前は、どうしてその 名前なのか?どういう由来がそこにあるのだろう?
講座では、「字源」「語源」を調べてみようとも伝えた。
目の前を流れる川の上流に「水源」があるように、自分の名前を構成する一文字一文字も、ある日突然、世界に生まれてきたのではない。ひらがなにも、カタカナにも、
漢字にも、成り立ちがある。
それが字の源と書いて「字源」だ。
「語源」についても補足しておきたい。
字の成り立ちをさかのぼる「字源」に対して、「語源」は、どうしてその意味で用いられるようになったのかをさかのぼることだ。
たとえば、「大丈夫」の語源を紹介したい。
中国では成人男子のことを「丈夫」と言い、特に立派な男子を「大丈夫」と言ったそうだ。
日本に伝わった時は、「立派な男子」の意味だったが、そこから派生して「しっかりしている」「間違いない」「確かである」の意味でも使われるようになったそうだ。
調べてみて「大丈夫」という言葉が似合う人でありたいと思った。
こんな風に語源をたどると、意外なエピソードを知れるのが面白いし、案外そこに示唆に富んだヒントがあったりする。
書店や図書館に行けば「字源辞典」「語源辞典」は置いてある。けれど、まずはちょっと気軽に調べたいな、という時は、ウェブで調べることができる。
僕の名前の「広太郎」の「広」であれば、「広 成り立ち」で検索すれば簡単に出てくる。
意味も成り立ちも詳しく見ることのできる「漢字/漢和/語源辞典」というサイトが便利で、僕はよく利用している。
自分の名前について、名付け親にその由来を聞いてみる。
そして自分自身で調べてみる。自分の名前に込められた思いを知り、解釈する。
何より、人に紹介できるようになってほしくて取り組んだ課題だった。